兵庫編 ・ 播磨の武将 No.21
赤松信濃守直頼
赤松直頼
あかまつ なおより
生没年不詳
神河町 / 名物・砥峰高原のススキ
ゆかりの地大山城跡(駐車場・案内板・のぼり旗あり、遺構明瞭)
人物紹介
赤松範資の子で、則祐の猶子となった武将。観応の擾乱では足利尊氏方につき、正平16・17年(1361・62)には山名時氏の播磨侵攻を一族とともに撃退した。但馬国境・真弓峠を見張る大山城(城山・標高487m)は、1362年頃に直頼が築いたと伝わる——山名を撃退した年と、築城伝承の年が一致する。山上の竪堀は北向き、つまり但馬側の攻め口を警戒した構えで、江戸期の武者絵には「赤松信濃守直頼」の名で鉢巻姿が描かれている。