兵庫編 ・ 播磨の武将 No.17
神子田正治
みこだ まさはる
1587
今からおよそ440年前
宍粟市 / 名物・千草鉄
ゆかりの地長水城跡(広瀬城)
人物紹介
秀吉の長浜時代からの古参で、山鹿素行『武家事紀』が「羽柴四天王」の筆頭に挙げた将。三木合戦などで武功を重ね、賤ヶ岳の後には播磨広瀬城主(広瀬城は長水城の別称)1万2千石になったとする説がある——宇野氏が滅んだあとの宍粟を、秀吉子飼いの将が引き継いだ形である。しかし小牧・長久手の二重堀砦で敗走した咎で改易・追放。天正15年(1587)、九州征伐中の秀吉に帰参を願い出て、逆に自害を命じられた。首は京の一条戻橋に晒されたという。出世頭から転落へ——秀吉家中の光と影を一身に背負った男。