兵庫編 ・ 但馬の武将 No.51
田結庄是義(豊岡市)

田結庄是義

たいのしょう これよし

1538 – 1575 享年38
今からおよそ450年前
豊岡市 / 名物・コウノトリ

ゆかりの地鶴城跡(愛宕山)/正福寺

人物紹介

山名四天王の一・田結庄氏の当主で、鶴城(豊岡市街東方の愛宕山)に拠った。毛利につくか織田につくか——但馬の国衆が二つに割れる中、元亀元年(1570)、是義は同じ四天王の垣屋続成を襲って討ち取る。この因縁が5年後に噴き出した。天正3年(1575)10月、続成の後継・垣屋光成らに攻められて野田合戦に敗れ、菩提寺の正福寺で自刃。享年38。主家の衰えの中で、四天王同士が食い合う——但馬戦国の内紛を象徴する武将である。