兵庫編 ・ 丹波の武将 No.55
明智光秀(丹波篠山市)
諸説あり

明智光秀

あけち みつひで

1528 – 1582 享年55
今からおよそ440年前
丹波篠山市 / 名物・丹波栗

ゆかりの地八上城跡(高城山)/金山城跡

人物紹介

丹波攻略の最大の難所が、丹波篠山の八上城だった。「丹波の雄」波多野秀治の堅城である。第一次攻めでは波多野氏の離反により大敗を喫した光秀は、第二次では力攻めを捨て、包囲網を築いての徹底した兵糧攻めに切り替えた。黒井城と八上城の連携を断つため、両城の間に金山城を築いたと伝わる。約1年の包囲の末、天正7年(1579)に八上城は開城——丹波平定の総仕上げは、篠山の山々を要塞網に変えた執念の攻城戦だった。

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