兵庫編 ・ 淡路の武将 No.62
菅達長
かん みちなが
1614
今からおよそ410年前
淡路市 / 名物・線香
ゆかりの地岩屋城跡(絵島・明石海峡を望む)
人物紹介
淡路十人衆に数えられた水軍の将。天正4年(1576)、淡路の国衆でただ一人毛利方につき、明石海峡をにらむ島の玄関口・岩屋の城主となった(本拠には岩屋・志知・釜口など諸説ある)。秀吉の淡路平定後は豊臣水軍の一翼として九州征伐や文禄・慶長の役を戦い、関ヶ原の西軍加担で所領を失ったのちは藤堂高虎に召し抱えられた。大坂冬の陣の後、講和条件に反する堀の埋め立てを「士道にあるまじき振る舞い」と拒んで高虎と衝突し、切腹を命じられる——慶長19年12月(西暦1615年1月)。海の武士の意地を貫いた最期だった。水軍術「菅流」の祖と伝わる。